大井競馬所属 的場文男 現役引退を発表する

的場文男 現役引退

2025年2月14日、東京シティ競馬所属の的場文男が同年3月31日をもって現役を引退することが発表されました。

的場は1973年に大井競馬場でデビューを果たすと、以降は昭和、平成を代表する名馬の数々に騎乗をし数々の伝説を打ち立て「大井の帝王」、「鉄人」と称されました。

しかし近年は度重なる怪我による休養に加え昨年7月には他の騎手の現金を盗んだとして「競馬開催期間外における不適切な行為により、当該騎手による騎乗が公正を害する恐れがある」として騎乗停止処分が下り以降は騎乗がありませんでした。

あなたへのオススメ

勝利への道筋を切り拓く!
あなたの舟券を変えるオススメサイト紹介

⇩優良サイトだけを紹介!⇩

さあ、あなたも新しいボートレースの世界を体験し、舟券を変える勝利の一歩を踏み出してみませんか?

MUGENの可能性で一攫千金!

▼無料登録手順▼
① LINE友達登録
② 届いたメッセージをタップ
③ 登録後にポイントが振り込まれ完了
🎁最大で10万円分のポイントをプレゼント🎁

 

的場文男について

経歴

的場文男

画像 楽天競馬

1956年に佐賀県で生まれた的場は先に騎手としてデビューをした兄の姿に憧れ自身も騎手を志すようになり第20期生として地方競馬教養センターに入寮。

同期には森下博や山崎尋美(川崎競馬場所属の山崎誠士の父)らがおり1973年に大井競馬場でデビュー。平成中期の各地の地方競馬場の廃止に伴い移籍をしてきた騎手が多い南関東地区の中において生粋の南関東、そして大井競馬出身の的場は長きに渡り看板騎手として活躍をしました。

全身を駆使しながらも両膝で鞍を固定しながら馬を伸ばし続ける「的場ダンス」と呼ばれる騎乗スタイルは馬をどうしたら動かすことが出来るのか試行錯誤する中で誕生。身体はもちろん競走馬への負担も激しいことから後輩騎手に対して真似をすることを自他共に否定しています。

コンサートボーイ、ボンネビルレコード、ケイアイレオーネなどの主戦を務めるなど通算7424勝は中央競馬を合わせても歴代1位の記録となっています。

引退に関してのコメント

「皆さま、長い間応援していただき、本当にありがとうございました。正直なところ、まだまだ乗りたい気持ちはありますが、昨年2月に膝をけがし、一度騎乗再開しましたが、膝の影響もあってか思うような騎乗ができず、体力的にも限界を感じるようになり、騎手としてのキャリアに終止符を打つ決断をいたしました。最後の騎乗を皆さまにお見せすることができず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。しかし、これまで多くの素晴らしい馬たちと共に走り、多くの思い出をつくることができました。皆さまの温かい応援が私の力となり、支えとなりました。これからは新たな道を歩むことになりますが、皆さまの応援を胸に次のステージでも頑張っていきたいと思います。本当にありがとうございました」

【PR】LINE登録で無料予想をゲット! ストロング


無料実績

【1/12(日)】


レース数 徳山11R
結果 1-4-5
倍率 26.6倍
払戻 26,600円

有料実績

【1/16(木)】


レース数 浜名湖6R
結果 3-6-2
倍率 67.5倍
払戻 67,500円

▼無料登録手順▼

① LINE友達登録。
② 届いたメッセージをタップ。
③ 登録後にポイントが振り込まれ完了
⇩こちらからの登録で最大10万円分のポイントを贈呈⇩

 

主な活躍

ダートの祭典 帝王賞を3度制覇

大井競馬場のビックレースの1つである帝王賞。1986年以降は中央馬も交えて地方VS中央の一流馬が集結するレースとして知られています。

的場は1993年にハシルショウグン、1997年にコンサートボーイ、2007年にボンネビルレコードにて帝王賞を制覇。

ボンネビルレコードは大井競馬場で2004年にデビューも2007年に中央競馬へと移籍。以降は不振に苦しんでいましたが、的場を背に5番人気の低評価を覆し見事に復活。

それ以降は地方競馬場への遠征時は的場が鞍上を務め翌2008年にはJpn1かしわ記念を制覇。再度の大井競馬場移籍後の2012年12月の引退時まで主戦を務め続けました。

ボンネビルレコードは現役引退後は大井競馬場の誘導馬として2022年6月まで長きに渡って活躍。引退セレモニーでは的場自らが跨り会場中から大歓声が上がりました。

東京ダービーと的場文男

的場文男を語る上で欠かせないのが東京ダービー制覇についてです。

大井競馬を初めとした地方競馬に関わる数々のビックタイトルを獲得しながら3歳の世代の王者を決める祭典である東京ダービーとは無縁であった的場。通算39回の騎乗で2着10回、3着4回とあと一歩のところまで迫るもなぜか手にすることが出来ないことから「大井競馬(地方競馬)の七不思議」とも称されています。

2018年の東京ダービーではクリスタルシルバーに騎乗もあと一歩のところでハセノパイロに差され10回目の2着。

ゴール前での「的場来たか!?どうか!?」という実況からも多くのファンがその歴史的瞬間を待ち望むも最後までその夢は叶うことはありませんでした。

怪我との戦い

1985年から2018年まで毎年100勝以上の勝ち星を積み上げ続けた的場。ホームの大井を始めとして船橋、浦和、川崎の南関東競馬の4場は原則月曜から金曜までの5日間に渡って休みなく乗り続ける姿はまさしく「鉄人」の名に恥じない活躍でした。

しかしその裏では「何度も死にかけた」と振り返るほど過酷な競走人生でした。

2007年には騎乗馬に蹴り飛ばされて内臓破裂の大怪我で病院へ搬送。腎臓と脾臓が身体の中で2つに割れ肋骨を複数本骨折した際には意識が薄れる中で死を覚悟したと後に振り返っています。

2005年には落馬の際に顎の複雑骨折により殆どの歯を消失。以降は入れ歯生活を余儀なくされるもこのような数々の怪我よりも「病院にいる方が嫌だった」と何度も蘇り続けファンの期待に応えるべく競馬と向き合い続けました。

 

不死身の男・的場文男の壮絶な大ケガ伝説…内臓破裂、腎臓真っ二つ、前歯粉砕、アゴ...
 日本騎手の歴代最多勝を持つ大井競馬の的場文男騎手(68)が、14日に引退を表明した。地方競馬通算4万3497戦7424勝(JRA132戦4勝)などの金字塔はあまりにも有名だが、その騎手人生はケガと
 Yahoo!ニュース

 

まとめ

さて、これまでの活躍をまとめてきましたが、私は以前の記事のまとめでも触れた通り「的場文男に1日でも早く現役引退を決断してほしかった」側の人間です。

不祥事が絡んだ今回の引退に対して当然のことながらセレモニー等は用意されることなく人知れず去る形となったのは長年に渡って的場を応援してきたファンに対しての仕打ちではないでしょうか?

これまでの功績を否定するつもりはありませんが、引退するタイミングを誤ったことが招いたこの結末は実に残酷な話です。

概要欄


限定予想・記事の更新・耳寄り情報などを無料で配信

Twitterでフォローしよう